目指せ!岩城橋 ゆめしま海道をぶらぶら
こんにちは! のぼうです。
今春、定年退職を迎え、でも年金が出るまではと即日、再就職して第二の人生を踏み出したオッサンライダーです。
(まあ、今更言うまでもありませんが・・・。(笑))
さて、今回の旅は、4月末の天気の良い日曜日のこと。
今年3月20日に開通した岩城島と生名島を結ぶ「岩城橋」を渡ってみたくなり、JA07カブ愛称「カブ吉」で岩城橋を含めたゆめしま海道に行ってきました。

尾道から福本渡船で向島に渡ります。
運賃は原付80円(ライダー含む)です。冗談みたいな料金です。

向島から因島に渡り、土生港から生名島の立石港を目指します。
運賃は原付125cc未満170円(ライダー込み)です。

生名島立石港です。 ゆめしま海道に上陸です。

立石港に上陸し、生名島を反時計回りで出発しました。
画像は、港の近くにある三秀園という庭園内にある巨石「立石(メンヒル)」です。この巨石、弥生時代中期の祭祀の遺跡とみられるとのこと。
ちょっとHPから借用「三秀園は、「男装の女傑」と呼ばれた麻生イトによって造園されました。「芸(安芸の国)・備(備後の国)・豫(伊予の国)」の美しい景観が広がる公園であることから、三秀園と呼ばれるようになりました。立石(メンヒル)は、上島町の有形文化財に指定されています(昭和47年8月31日指定)。地上に出ている高さは、約4.5mです。」とありました。

サウンド波間田(はかんだ)キャンプ場です。
きれいに整備されたキャンプ場でした。この日は、広い敷地に数張りだけでした。
料金は宿泊キャンプ1,050円/回・1張とありました。離島なので、ゆっくりキャンプできそうです。料金も納得ですね。

サウンド波間田(はかんだ)キャンプ場から山あいに少し入ったところにある「立石山噴水広場」です。
きれいに整備されていますが、噴水は作動していませんでした。展望よいです。

更に生名島を周回していくと、「岩城橋」が見えてみました。
橋長 916m、平成25年度から令和3年度まで、8年の工期を経て、今年開通した橋です。


生名サーキットです。ミニバイク専用だそうです。
現在、8月21日(日)に開催される4スト50ccスクーター耐久レースのエントリー受付中とのこと。
「真夏の耐久レースは暑いので、午前中の涼しいうちに終わらせてしまう身体に優しい耐久レースですので、どしどしご参加ください!」とありました。(Facebookから)

さあ、この10度の急坂を登ったさきが岩城橋です。


画像下は岩城橋からの展望です。
先に見えるのはしまなみ海道の生口橋です。
展望が良いのだけど、道路幅がそれほど広くないので、車両の邪魔にならないように早々に渡ります。
さあ、岩城島に上陸です。目指すは、積善山展望台です。


やって来ました。積善山は春には3000本の桜が山を埋め尽くす名所として有名とのこと。

駐車場から展望台までそびえるこの斜面、なかなか手強いです。(思わず、岡山のむらさんなら途中に休憩所が必要か?と思うほど(笑))


登った先には素敵な展望が広がっています。(頑張れ!むらさん!頂上まであと少し・・・なんて思ったりしました。)


積善山を下山してから、「かみじまちょう・いわぎ海の駅」に立ち寄り、そこにある「喫茶 レモン・ハート」で昼食としました。

注文したのは、岩城島特産のレモンポークを使った「レモンポーク丼」、豚バラ肉+甘めのタレ、半熟卵にレモン果汁を搾っており、爽やかな味わい・・・なのですが、思ったよりお肉が固いなぁ。まずまず美味しくいただきました。

昼食後、再び岩城島を渡って生名島へ、更に生名橋を渡って、ゆめしま海道3つめの島「佐島」へ渡ります。

西方寺です。ユニークな仁王王が門を守っています。

佐島の南端にあるゆめしま海道の名所!「Uターンブルーライン」です。
まあ、ただのサイクリングのために道に描かれたブルーラインの折り返し地点ですが・・・。(笑)


弓削大橋を渡って、ゆめしま海道4つめの島、弓削島に上陸しました。
画像上は佐島側にある「ゆめしま海道の碑」です。
展望の良いところです。
ただ、折角の碑の横にベンチが置いてあり、お兄さんがまったりしている。少し待っていましたが、のぼうの視線に気づくそぶりもないので、そのまま記念撮影です。(笑)

ところで、碑の近くにあったこのベンチ? 台? どう使うんだろ?


弓削島は軽く流して帰路につきます。
上弓削港から家老渡フェリー汽船に乗って因島・家老渡を目指します。料金は250cc未満250円(ライダー込み)です。
画像下は、遠くに見える岩城橋・・・・あれっ、グーグルマップで確認すると生名島と佐島を結ぶ生名橋でした。
フェリーに乗っているときは岩城橋と思い込んで、しみじみ眺めていました。(笑)


帰路、因島重井町にある白滝山 五百羅漢に立ち寄りました。ここ展望がよいので好きなんです。
以下HPから借用
「標高226メートルの白滝山は、もともと修験者の修行の場でした。
1569年因島村上水軍6代当主、村上新蔵人吉充が布刈瀬戸の見張りどころとして観音堂を建立したと伝えられています。
江戸時代後期、重井の豪商 柏原伝六(1780~1828年)が、神道、儒教、仏教に加え、当時禁制の基督教の四大宗教の共通理
念を基礎に『一観教』を開き、白滝山上に清浄世界をあらわそうと、石像群の五百羅漢を弟子 柏原林蔵や尾道の石工たちとともに刻みました。1830年に完成しました。しかし伝六は、その途中、一揆を怖れる広島藩により1828年に毒殺されました。
仁王門から山頂まで大小約700体の石像仏群がところ狭しと並んでいます。」
とのことです。
どうも新興宗教の教祖様が作られたようですが、志半ばで亡くなられたようです。

確かにゴリラの横顔に見えます。


白滝山にある「恋し岩」です。この岩には悲しい伝説があるそうです。
以下、やっぱりHPから「その昔、結婚の約束をした男女がおりました。あるとき男が、「立派な相撲取りになるために上京する。3年経ったら戻って来る。」と言って上京しましたが、約束の3年を過ぎても戻ってきませんでした。女は忘れられたと悲しみ、海に身を投げてしまったのです。それを知った男が悲嘆にくれているとき、身投げした女の化身が岩となって現れていることを知りました。男は海からその岩を背負って白滝山山頂の観音堂まで運び、一生をかけて供養したということです。」
何とも悲しい物語です。(合掌)
ところで、二人の寄り添う姿が見えますか? のぼうには見えませんでした。
やはり、還暦の乾いたオッサンには心を込めて祈っても駄目なようです。(残念)


因島から向島へ
向島からはやはり福本渡船で尾道へ渡り、後はR2で東広島市へ(明るいうちに無事帰宅)
ゆめしま海道の旅は、短いながらも渡船やフェリーを乗り継いで、ちょっとした旅気分を味わえました。
「恋し岩」、心を込めて祈ると素敵なお相手が見つかるとのこと。 じぇべらーさん、ここは勝負!ですよ!!
親父の備忘録ブログにご訪問いただきありがとうございました。
今春、定年退職を迎え、でも年金が出るまではと即日、再就職して第二の人生を踏み出したオッサンライダーです。
(まあ、今更言うまでもありませんが・・・。(笑))
さて、今回の旅は、4月末の天気の良い日曜日のこと。
今年3月20日に開通した岩城島と生名島を結ぶ「岩城橋」を渡ってみたくなり、JA07カブ愛称「カブ吉」で岩城橋を含めたゆめしま海道に行ってきました。

尾道から福本渡船で向島に渡ります。
運賃は原付80円(ライダー含む)です。冗談みたいな料金です。

向島から因島に渡り、土生港から生名島の立石港を目指します。
運賃は原付125cc未満170円(ライダー込み)です。

生名島立石港です。 ゆめしま海道に上陸です。

立石港に上陸し、生名島を反時計回りで出発しました。
画像は、港の近くにある三秀園という庭園内にある巨石「立石(メンヒル)」です。この巨石、弥生時代中期の祭祀の遺跡とみられるとのこと。
ちょっとHPから借用「三秀園は、「男装の女傑」と呼ばれた麻生イトによって造園されました。「芸(安芸の国)・備(備後の国)・豫(伊予の国)」の美しい景観が広がる公園であることから、三秀園と呼ばれるようになりました。立石(メンヒル)は、上島町の有形文化財に指定されています(昭和47年8月31日指定)。地上に出ている高さは、約4.5mです。」とありました。

サウンド波間田(はかんだ)キャンプ場です。
きれいに整備されたキャンプ場でした。この日は、広い敷地に数張りだけでした。
料金は宿泊キャンプ1,050円/回・1張とありました。離島なので、ゆっくりキャンプできそうです。料金も納得ですね。

サウンド波間田(はかんだ)キャンプ場から山あいに少し入ったところにある「立石山噴水広場」です。
きれいに整備されていますが、噴水は作動していませんでした。展望よいです。

更に生名島を周回していくと、「岩城橋」が見えてみました。
橋長 916m、平成25年度から令和3年度まで、8年の工期を経て、今年開通した橋です。


生名サーキットです。ミニバイク専用だそうです。
現在、8月21日(日)に開催される4スト50ccスクーター耐久レースのエントリー受付中とのこと。
「真夏の耐久レースは暑いので、午前中の涼しいうちに終わらせてしまう身体に優しい耐久レースですので、どしどしご参加ください!」とありました。(Facebookから)

さあ、この10度の急坂を登ったさきが岩城橋です。


画像下は岩城橋からの展望です。
先に見えるのはしまなみ海道の生口橋です。
展望が良いのだけど、道路幅がそれほど広くないので、車両の邪魔にならないように早々に渡ります。
さあ、岩城島に上陸です。目指すは、積善山展望台です。


やって来ました。積善山は春には3000本の桜が山を埋め尽くす名所として有名とのこと。

駐車場から展望台までそびえるこの斜面、なかなか手強いです。(思わず、岡山のむらさんなら途中に休憩所が必要か?と思うほど(笑))


登った先には素敵な展望が広がっています。(頑張れ!むらさん!頂上まであと少し・・・なんて思ったりしました。)


積善山を下山してから、「かみじまちょう・いわぎ海の駅」に立ち寄り、そこにある「喫茶 レモン・ハート」で昼食としました。

注文したのは、岩城島特産のレモンポークを使った「レモンポーク丼」、豚バラ肉+甘めのタレ、半熟卵にレモン果汁を搾っており、爽やかな味わい・・・なのですが、思ったよりお肉が固いなぁ。まずまず美味しくいただきました。

昼食後、再び岩城島を渡って生名島へ、更に生名橋を渡って、ゆめしま海道3つめの島「佐島」へ渡ります。

西方寺です。ユニークな仁王王が門を守っています。

佐島の南端にあるゆめしま海道の名所!「Uターンブルーライン」です。
まあ、ただのサイクリングのために道に描かれたブルーラインの折り返し地点ですが・・・。(笑)


弓削大橋を渡って、ゆめしま海道4つめの島、弓削島に上陸しました。
画像上は佐島側にある「ゆめしま海道の碑」です。
展望の良いところです。
ただ、折角の碑の横にベンチが置いてあり、お兄さんがまったりしている。少し待っていましたが、のぼうの視線に気づくそぶりもないので、そのまま記念撮影です。(笑)

ところで、碑の近くにあったこのベンチ? 台? どう使うんだろ?


弓削島は軽く流して帰路につきます。
上弓削港から家老渡フェリー汽船に乗って因島・家老渡を目指します。料金は250cc未満250円(ライダー込み)です。
画像下は、遠くに見える岩城橋・・・・あれっ、グーグルマップで確認すると生名島と佐島を結ぶ生名橋でした。
フェリーに乗っているときは岩城橋と思い込んで、しみじみ眺めていました。(笑)


帰路、因島重井町にある白滝山 五百羅漢に立ち寄りました。ここ展望がよいので好きなんです。
以下HPから借用
「標高226メートルの白滝山は、もともと修験者の修行の場でした。
1569年因島村上水軍6代当主、村上新蔵人吉充が布刈瀬戸の見張りどころとして観音堂を建立したと伝えられています。
江戸時代後期、重井の豪商 柏原伝六(1780~1828年)が、神道、儒教、仏教に加え、当時禁制の基督教の四大宗教の共通理
念を基礎に『一観教』を開き、白滝山上に清浄世界をあらわそうと、石像群の五百羅漢を弟子 柏原林蔵や尾道の石工たちとともに刻みました。1830年に完成しました。しかし伝六は、その途中、一揆を怖れる広島藩により1828年に毒殺されました。
仁王門から山頂まで大小約700体の石像仏群がところ狭しと並んでいます。」
とのことです。
どうも新興宗教の教祖様が作られたようですが、志半ばで亡くなられたようです。

確かにゴリラの横顔に見えます。


白滝山にある「恋し岩」です。この岩には悲しい伝説があるそうです。
以下、やっぱりHPから「その昔、結婚の約束をした男女がおりました。あるとき男が、「立派な相撲取りになるために上京する。3年経ったら戻って来る。」と言って上京しましたが、約束の3年を過ぎても戻ってきませんでした。女は忘れられたと悲しみ、海に身を投げてしまったのです。それを知った男が悲嘆にくれているとき、身投げした女の化身が岩となって現れていることを知りました。男は海からその岩を背負って白滝山山頂の観音堂まで運び、一生をかけて供養したということです。」
何とも悲しい物語です。(合掌)
ところで、二人の寄り添う姿が見えますか? のぼうには見えませんでした。
やはり、還暦の乾いたオッサンには心を込めて祈っても駄目なようです。(残念)


因島から向島へ
向島からはやはり福本渡船で尾道へ渡り、後はR2で東広島市へ(明るいうちに無事帰宅)
ゆめしま海道の旅は、短いながらも渡船やフェリーを乗り継いで、ちょっとした旅気分を味わえました。
「恋し岩」、心を込めて祈ると素敵なお相手が見つかるとのこと。 じぇべらーさん、ここは勝負!ですよ!!
親父の備忘録ブログにご訪問いただきありがとうございました。
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