尾道市古寺巡りでぶらぶら
こんにちは! のぼうです。
オミクロン旋風のお陰で広島県はまん延防止措置の適用が3月6日まで延長されました。
のぼうも、実家支援以外では、巣籠もり中心に過ごしています。
今回は、実家に寄った後、ちょっと足を延ばして尾道市街にやってきました。
目的は、コロナ退散祈願の古寺巡り・・・半日余りの散策です。

尾道本通商店街入り口にある「林芙美子像(はやしふみこ)」です。
以下HPから借用「尾道にゆかりの深い作家林芙美子。大正5年に尾道に移り住み、尾道高等女学校(現・東高等学校)を卒業後上京し、作家目指して苦難の日が続きますが昭和4年「放浪記」がベストセラーとなり、作家として大成しました。」とのこと。
「放浪記」と聞けばお分りの方も多いのでは。

商店街入り口にある古寺巡り入り口の看板です。
今回はここからスタートします。
と、その前に。この時点でお昼なので、散策前に腹ごしらえです。


立ち寄ったのは、看板の直ぐ横にあった「極とんラーメン 尾道店」さんです。
マン防のため、休業中のお店も多いなか開店していたので迷わず入りました。

尾道極とん+炒飯のセットです。(限定という言葉に弱い)
麵は細い平麺でした。豚骨スープは見た目よりさっぱりした感じで美味しくいただきました。
画像にはありませんが、テーブルに置いてある「辛子高菜」がとても美味しかったです。

案内板に従い、まずは「持光寺」へ

ルートの途中で見掛けた「二階井戸」です。
二階から桶と滑車のついた鎖で井戸水を汲み上げることができる手動取水型の井戸で、坂の町、尾道ならではの風景です。


古寺巡りの最初、持光寺にやって来ました。
以下はHPから借用
「このお寺の山門はその名にふさわしい竜宮造りの石門を備えていてこのお寺のシンボルとなっています。
寺宝としては平安時代(1153年(仁平3年))に描かれた仏画で国宝の「絹本著色普賢延命像」を所蔵(レプリカを公開)しています。梅雨の季節にはあじさいが咲き誇り、別名「あじさい寺」と呼ばれているほか、自分で粘土を握って仏を作る「にぎり仏」が体験できるお寺としても有名。」とのこと。
前述の、「絹本著色普賢延命像」は、鳥羽法皇の命により、愛する御子・近衛天皇のご息災を祈願して作られた国宝・絹本著色 普賢延命像[延命像仁平三年四月廿一日供養](1153年)が伝わっているとのこと。 一度拝むと寿命が延びるといわれているそうですが、今回はコロナ撲滅を記念して次に向かいます。


自分で粘土を握って仏を作る「にぎり仏」が展示されています。
ユルキャンの福原遥さんも体験されたようです。(まだ10代の頃かな。おじさん、キュンです。)


尾道らしい小道を通って、次のお寺を目指します。
このルートには所々に休憩所(トイレ有)が設けられているので高齢者(のぼうも含む)に優しいですね。



古寺巡り2番目は、光明寺にやってきました。
以下HPから借用
「寺の草創は承和年中(834~847)円仁和尚。収蔵庫には、国重要文化財で平安時代後期の作「浪分観音」や尾道市最古の仏像で国重要美術品の「金銅観音」があり、境内下には約30メートルにわたり東西に枝を伸ばす名木「蟠龍の松」(市天然記念物)があります。また、本堂の左手には第12代横綱陣幕久五郎の墓があり、墓前には石 に刻んだ横綱自作自筆の句碑「うけながら風の押す手を柳かな」があります。」とのこと。
画像は、第12代横綱陣幕久五郎の手形碑です。(句碑は何処に?)
第十二代横綱陣幕久五郎は、19歳の時、相撲の道に入り、入幕から引退までの勝率は94.6%、終生一度もまったなしの輝かしい記録を持つ横綱であった。と先日、中国新聞で紹介されていました。引退後は、私財を投じて各地に相撲記念碑をたて力士の地位の向上に尽くしたそうです。明治36年10月21日、腎(じん)臓病のため、75歳で生涯を閉じられたとのこと。(合掌)


光明寺を後にして、古寺巡り3番目、千光寺を目指します。
画像は、千光寺新道の坂道です。
上の画像は、観光案内のパンフなどにも使われている場所になります。
長さはありますが、段差は低いのでゆっくり登ります。

消火栓のマンホールです。
尾道は、坂道+道が細くて消防車が入れない場所が多いので、あちこちに消火栓とホースが「設置されていました。

千光寺新道から望む尾道水道です。
渡船が往復しています。

千光寺にやって来ました。
以下HPから借用
「大宝山権現院千光寺は標高140m、尾道港を一望する大宝山の中腹にあり、弘法大師の開基(806年)で中興は多田満仲公と伝えられています。珍しい舞台造りの朱塗りの本堂(1686年)は別名「赤堂」とも呼ばれ、林芙美子も放浪記の中で「赤い千光寺の塔が見える」と書いています。「赤堂」や「玉の岩」、"残したい日本の音風景100選"に選定された「鐘楼」は、お寺のシンボル的な存在です。」とのこと。


鳥居(?)をくぐって最初に目に入ってくる「くさり山」です。
住職曰く、「半世紀を超えて甦った石鎚権現の社。鎖でつながれたこの社へ登られるようになりました。千光寺の中で、一段上にある社からの眺望は本堂とはまた違った素晴らしさが味わえます。」とのこと。
味わえるのか・・・でも高い所は苦手なのでパス。(笑)

三十三観音堂(さんじゅうさんかんのんどう)です。1743年の建物です。
お堂の正面には桜木で造られた百八煩悩滅除大念珠が下げてあります。幸せを念じながらゆっくりと引くと珠が上から落ちてカチカチと音がします。この音で苦しみの根源である煩悩を打ち消して、観音様の御守護が頂けると言われているそうです。
個人的には、3周くらい引いて回したかったのですが、後の人の視線が気になって・・・半周だけ。煩悩が半分消えたかな。(笑)

俗に赤堂と呼ばれる千光寺本堂(貞享3年(1686年)築)です。
千光寺のHPには、「試験合格、縁結び、子授け、交通安全、家内安全、夫婦円満、病気平癒、延命長寿等諸願成就の観音様としてお詣りが絶えません。」とあります。
万能の観音様です。

玉の岩です。 玉の岩伝説というのがあるようですが・・・長い。
住職さん曰く、簡単に言えば「尾道の地名にも深く関係している千光寺の『玉の岩伝説』。その昔烏帽子岩の頂にははるか遠くを照らす“宝玉”があったと伝えられています。」だそうです。画像にある玉は宝玉の代わりだそうです。

千光寺から尾道市街を望む画像です。
千光寺山ロープウェイです。頂上展望台が工事中(来月末に完成らしい)だったので、今回はパスしました。


この日、最後に尋ねたのは、天寧寺三重塔です。
三重塔は、元々1388年に建立された五重塔だったそうですが、1692年に傷みの激しい上二重を取り払って三重に改造したものとのこと。近くに寄って、格子の隙間から塔の内部を覗いてみると、少し色褪せた感はありますが、極彩色の天井画を見ることができました。
さて、古寺巡り、お寺はいくらもあるのですが、帰りの時間も考えてこの日はここで終了です。
尾道商店街や海岸通りをぶらぶらしながら駐車場に向かいます。




ノスタルジックな町並みを眺めながらぶらぶらと・・・。
坂の町、尾道ですが、こういう路地を眺めながら歩いていると、ちょっと子供の頃に戻ったような気持ちになります。


有形文化財に指定されている「竹村家本館」です。大正9年に全面改装された木造二階建て数寄屋造りの建物は、
文化財でありながら、宿泊や会食に使える国内でも珍しい建物だそうです。
こういう旅館に泊まってみたいものです。
この日は、車での訪問だったので車両の画像はありません。
半日余りの散策でしたが、久しぶりの町歩きでちょっと気持ちも軽くなりました。(当然に三密なし、濃厚接触なしでしたよ)
早くコロナ禍がおわりますように・・・。(いっぱい祈願しました!)
親父の備忘録ブログにご訪問いただきありがとうございました。
オミクロン旋風のお陰で広島県はまん延防止措置の適用が3月6日まで延長されました。
のぼうも、実家支援以外では、巣籠もり中心に過ごしています。
今回は、実家に寄った後、ちょっと足を延ばして尾道市街にやってきました。
目的は、コロナ退散祈願の古寺巡り・・・半日余りの散策です。

尾道本通商店街入り口にある「林芙美子像(はやしふみこ)」です。
以下HPから借用「尾道にゆかりの深い作家林芙美子。大正5年に尾道に移り住み、尾道高等女学校(現・東高等学校)を卒業後上京し、作家目指して苦難の日が続きますが昭和4年「放浪記」がベストセラーとなり、作家として大成しました。」とのこと。
「放浪記」と聞けばお分りの方も多いのでは。

商店街入り口にある古寺巡り入り口の看板です。
今回はここからスタートします。
と、その前に。この時点でお昼なので、散策前に腹ごしらえです。


立ち寄ったのは、看板の直ぐ横にあった「極とんラーメン 尾道店」さんです。
マン防のため、休業中のお店も多いなか開店していたので迷わず入りました。

尾道極とん+炒飯のセットです。(限定という言葉に弱い)
麵は細い平麺でした。豚骨スープは見た目よりさっぱりした感じで美味しくいただきました。
画像にはありませんが、テーブルに置いてある「辛子高菜」がとても美味しかったです。

案内板に従い、まずは「持光寺」へ

ルートの途中で見掛けた「二階井戸」です。
二階から桶と滑車のついた鎖で井戸水を汲み上げることができる手動取水型の井戸で、坂の町、尾道ならではの風景です。


古寺巡りの最初、持光寺にやって来ました。
以下はHPから借用
「このお寺の山門はその名にふさわしい竜宮造りの石門を備えていてこのお寺のシンボルとなっています。
寺宝としては平安時代(1153年(仁平3年))に描かれた仏画で国宝の「絹本著色普賢延命像」を所蔵(レプリカを公開)しています。梅雨の季節にはあじさいが咲き誇り、別名「あじさい寺」と呼ばれているほか、自分で粘土を握って仏を作る「にぎり仏」が体験できるお寺としても有名。」とのこと。
前述の、「絹本著色普賢延命像」は、鳥羽法皇の命により、愛する御子・近衛天皇のご息災を祈願して作られた国宝・絹本著色 普賢延命像[延命像仁平三年四月廿一日供養](1153年)が伝わっているとのこと。 一度拝むと寿命が延びるといわれているそうですが、今回はコロナ撲滅を記念して次に向かいます。


自分で粘土を握って仏を作る「にぎり仏」が展示されています。
ユルキャンの福原遥さんも体験されたようです。(まだ10代の頃かな。おじさん、キュンです。)


尾道らしい小道を通って、次のお寺を目指します。
このルートには所々に休憩所(トイレ有)が設けられているので高齢者(のぼうも含む)に優しいですね。



古寺巡り2番目は、光明寺にやってきました。
以下HPから借用
「寺の草創は承和年中(834~847)円仁和尚。収蔵庫には、国重要文化財で平安時代後期の作「浪分観音」や尾道市最古の仏像で国重要美術品の「金銅観音」があり、境内下には約30メートルにわたり東西に枝を伸ばす名木「蟠龍の松」(市天然記念物)があります。また、本堂の左手には第12代横綱陣幕久五郎の墓があり、墓前には石 に刻んだ横綱自作自筆の句碑「うけながら風の押す手を柳かな」があります。」とのこと。
画像は、第12代横綱陣幕久五郎の手形碑です。(句碑は何処に?)
第十二代横綱陣幕久五郎は、19歳の時、相撲の道に入り、入幕から引退までの勝率は94.6%、終生一度もまったなしの輝かしい記録を持つ横綱であった。と先日、中国新聞で紹介されていました。引退後は、私財を投じて各地に相撲記念碑をたて力士の地位の向上に尽くしたそうです。明治36年10月21日、腎(じん)臓病のため、75歳で生涯を閉じられたとのこと。(合掌)


光明寺を後にして、古寺巡り3番目、千光寺を目指します。
画像は、千光寺新道の坂道です。
上の画像は、観光案内のパンフなどにも使われている場所になります。
長さはありますが、段差は低いのでゆっくり登ります。

消火栓のマンホールです。
尾道は、坂道+道が細くて消防車が入れない場所が多いので、あちこちに消火栓とホースが「設置されていました。

千光寺新道から望む尾道水道です。
渡船が往復しています。

千光寺にやって来ました。
以下HPから借用
「大宝山権現院千光寺は標高140m、尾道港を一望する大宝山の中腹にあり、弘法大師の開基(806年)で中興は多田満仲公と伝えられています。珍しい舞台造りの朱塗りの本堂(1686年)は別名「赤堂」とも呼ばれ、林芙美子も放浪記の中で「赤い千光寺の塔が見える」と書いています。「赤堂」や「玉の岩」、"残したい日本の音風景100選"に選定された「鐘楼」は、お寺のシンボル的な存在です。」とのこと。


鳥居(?)をくぐって最初に目に入ってくる「くさり山」です。
住職曰く、「半世紀を超えて甦った石鎚権現の社。鎖でつながれたこの社へ登られるようになりました。千光寺の中で、一段上にある社からの眺望は本堂とはまた違った素晴らしさが味わえます。」とのこと。
味わえるのか・・・でも高い所は苦手なのでパス。(笑)

三十三観音堂(さんじゅうさんかんのんどう)です。1743年の建物です。
お堂の正面には桜木で造られた百八煩悩滅除大念珠が下げてあります。幸せを念じながらゆっくりと引くと珠が上から落ちてカチカチと音がします。この音で苦しみの根源である煩悩を打ち消して、観音様の御守護が頂けると言われているそうです。
個人的には、3周くらい引いて回したかったのですが、後の人の視線が気になって・・・半周だけ。煩悩が半分消えたかな。(笑)

俗に赤堂と呼ばれる千光寺本堂(貞享3年(1686年)築)です。
千光寺のHPには、「試験合格、縁結び、子授け、交通安全、家内安全、夫婦円満、病気平癒、延命長寿等諸願成就の観音様としてお詣りが絶えません。」とあります。
万能の観音様です。

玉の岩です。 玉の岩伝説というのがあるようですが・・・長い。
住職さん曰く、簡単に言えば「尾道の地名にも深く関係している千光寺の『玉の岩伝説』。その昔烏帽子岩の頂にははるか遠くを照らす“宝玉”があったと伝えられています。」だそうです。画像にある玉は宝玉の代わりだそうです。

千光寺から尾道市街を望む画像です。
千光寺山ロープウェイです。頂上展望台が工事中(来月末に完成らしい)だったので、今回はパスしました。


この日、最後に尋ねたのは、天寧寺三重塔です。
三重塔は、元々1388年に建立された五重塔だったそうですが、1692年に傷みの激しい上二重を取り払って三重に改造したものとのこと。近くに寄って、格子の隙間から塔の内部を覗いてみると、少し色褪せた感はありますが、極彩色の天井画を見ることができました。
さて、古寺巡り、お寺はいくらもあるのですが、帰りの時間も考えてこの日はここで終了です。
尾道商店街や海岸通りをぶらぶらしながら駐車場に向かいます。




ノスタルジックな町並みを眺めながらぶらぶらと・・・。
坂の町、尾道ですが、こういう路地を眺めながら歩いていると、ちょっと子供の頃に戻ったような気持ちになります。


有形文化財に指定されている「竹村家本館」です。大正9年に全面改装された木造二階建て数寄屋造りの建物は、
文化財でありながら、宿泊や会食に使える国内でも珍しい建物だそうです。
こういう旅館に泊まってみたいものです。
この日は、車での訪問だったので車両の画像はありません。
半日余りの散策でしたが、久しぶりの町歩きでちょっと気持ちも軽くなりました。(当然に三密なし、濃厚接触なしでしたよ)
早くコロナ禍がおわりますように・・・。(いっぱい祈願しました!)
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