秋の大山地ビール祭りへ(前編)
こんにちは! のぼうです。
広島は新たなコロナ感染者が高止まりのままです。
この状況にあって、医療を支えている従事者の方々に感謝するとともに、自身が感染したり拡大させることのないよう、できることをしっかりと取り組んでいこうと思います。
(この週末も不要不急の外出を控えて、遅れているblog更新です・・・。)
さて、物語はまだ平穏だった11月はじめ、マダイさんご夫妻のお誘いで秋の大山地ビール祭りへ行ったときのお話です。

この日は生憎の小雨模様でしたが、大山に向かう前に島根県松江市”国宝松江城”に寄りました。
入り口でマスク武者と記念撮影「ダアァ~ッ」と気合いが入ります。(マダイさんご夫妻と奥様の友人トモチンです。)



この日は、菊花展が開催されていました。
しばし観覧、菊の香りにつつまれて、しばしホッコリします。

松江城天守閣です。
「松江城は18万6,000石の城下町松江のシンボルで、全国に現存する12天守の一つであり、2015年に国宝に指定されました。」
そうです。

天守閣内に展示してあった国宝指定書です。(はじめて見た!)


上の画像は、現在の鯱(しゃちほこ)です。
現存の「鯱」は、昭和30年に天守の修理完成時に取り替えられたものです。
下の画像は、地階に展示された松江城が完成した慶長16年(1611年)から天守閣の頂点で躍っていたオリジナル「鯱」(しゃちほこ)は、現在、地階で展示されています。
オリジナルは木造のものでは日本最大で松江城の「鯱」は、向かって左が「雄」(おす)で鱗(うろこ)が荒く、右が「雌」(めす)だそうです。

地階~1階の東西2本の通し柱は松江城天守最大の柱で、天守国宝化の決め手となった祈祷札(松江城の完成を証明する札だそうです。)もこの柱の地階部分に打ち付けられていたそうです。

天守閣最上階からは松江市内が360度見渡せます。(小雨模様だったのが残念)

天守閣の外では忍者がインタビューを受けていました。(笑)

城内にある松江神社のマスク狛犬です。(マスクは大事ですね!)

松江城内にある「興雲閣(こううんかく)」です。
明治36年(1903年)松江市が天皇の行幸を願って建てたものだそうです。
天皇の行幸は実現しませんでしたが、時の皇太子(後の大正天皇)の御宿泊所として利用されたそうです。



2枚目の画像は執務室、3枚目の画像にある畳の部屋は、当時の皇太子(後の大正天皇)がお泊まりになったところです。
ここから松江城内を出て、お堀にそって散策です。

松江城大手前広場にある「堀川めぐり」乗船場です。
乗船する予定でったのですが、小雨模様で断念しました。

しばし散策・・・。


江戸時代から続く、江戸時代から脇虎口門跡につづく北惣門橋です。
その昔、二本差しのお侍がこの橋を渡って登城していたのでしょうねぇ。

日本の道百選に選ばれた「塩見縄手」です。
松江城の北側、堀川沿いにある松並木が美しい道です。かつて中級武士の屋敷が建ち並び、通りの中ほどに塩見小兵衛の屋敷があったことから、この辺りを塩見縄手と呼ぶようになったそうです。


通りにある「塩見茶屋」で昼食です。
お堀を眺めながら、お蕎麦をいただきました。
堀川めぐりの舟が時折、通り過ぎていきます。(皆さん、カッパ着用でした乗れば良かったかなぁ。)
食事後、松江市を後にして、鳥取県境港市へ


やって来たのは、「水木しげるロード」です。
トモチン、初めての訪問ということで大はしゃぎ!

さあ、鬼太郎と原作者水木しげるさんと一緒にレッツGo!




紹介するまでない鬼太郎の仲間達です。(ぬり壁と一反木綿は?何処行った?(笑))

マダイ奥様、立ち止まってます。(笑)
ひとしきり散策して、いよいよ大山です。
目指すはここ↓

いざ行かん! 目指せ大山Gビール祭り! ・・・・つづく
広島は新たなコロナ感染者が高止まりのままです。
この状況にあって、医療を支えている従事者の方々に感謝するとともに、自身が感染したり拡大させることのないよう、できることをしっかりと取り組んでいこうと思います。
(この週末も不要不急の外出を控えて、遅れているblog更新です・・・。)
さて、物語はまだ平穏だった11月はじめ、マダイさんご夫妻のお誘いで秋の大山地ビール祭りへ行ったときのお話です。

この日は生憎の小雨模様でしたが、大山に向かう前に島根県松江市”国宝松江城”に寄りました。
入り口でマスク武者と記念撮影「ダアァ~ッ」と気合いが入ります。(マダイさんご夫妻と奥様の友人トモチンです。)



この日は、菊花展が開催されていました。
しばし観覧、菊の香りにつつまれて、しばしホッコリします。

松江城天守閣です。
「松江城は18万6,000石の城下町松江のシンボルで、全国に現存する12天守の一つであり、2015年に国宝に指定されました。」
そうです。

天守閣内に展示してあった国宝指定書です。(はじめて見た!)


上の画像は、現在の鯱(しゃちほこ)です。
現存の「鯱」は、昭和30年に天守の修理完成時に取り替えられたものです。
下の画像は、地階に展示された松江城が完成した慶長16年(1611年)から天守閣の頂点で躍っていたオリジナル「鯱」(しゃちほこ)は、現在、地階で展示されています。
オリジナルは木造のものでは日本最大で松江城の「鯱」は、向かって左が「雄」(おす)で鱗(うろこ)が荒く、右が「雌」(めす)だそうです。

地階~1階の東西2本の通し柱は松江城天守最大の柱で、天守国宝化の決め手となった祈祷札(松江城の完成を証明する札だそうです。)もこの柱の地階部分に打ち付けられていたそうです。

天守閣最上階からは松江市内が360度見渡せます。(小雨模様だったのが残念)

天守閣の外では忍者がインタビューを受けていました。(笑)

城内にある松江神社のマスク狛犬です。(マスクは大事ですね!)

松江城内にある「興雲閣(こううんかく)」です。
明治36年(1903年)松江市が天皇の行幸を願って建てたものだそうです。
天皇の行幸は実現しませんでしたが、時の皇太子(後の大正天皇)の御宿泊所として利用されたそうです。



2枚目の画像は執務室、3枚目の画像にある畳の部屋は、当時の皇太子(後の大正天皇)がお泊まりになったところです。
ここから松江城内を出て、お堀にそって散策です。

松江城大手前広場にある「堀川めぐり」乗船場です。
乗船する予定でったのですが、小雨模様で断念しました。

しばし散策・・・。


江戸時代から続く、江戸時代から脇虎口門跡につづく北惣門橋です。
その昔、二本差しのお侍がこの橋を渡って登城していたのでしょうねぇ。

日本の道百選に選ばれた「塩見縄手」です。
松江城の北側、堀川沿いにある松並木が美しい道です。かつて中級武士の屋敷が建ち並び、通りの中ほどに塩見小兵衛の屋敷があったことから、この辺りを塩見縄手と呼ぶようになったそうです。


通りにある「塩見茶屋」で昼食です。
お堀を眺めながら、お蕎麦をいただきました。
堀川めぐりの舟が時折、通り過ぎていきます。(皆さん、カッパ着用でした乗れば良かったかなぁ。)
食事後、松江市を後にして、鳥取県境港市へ


やって来たのは、「水木しげるロード」です。
トモチン、初めての訪問ということで大はしゃぎ!

さあ、鬼太郎と原作者水木しげるさんと一緒にレッツGo!




紹介するまでない鬼太郎の仲間達です。(ぬり壁と一反木綿は?何処行った?(笑))

マダイ奥様、立ち止まってます。(笑)
ひとしきり散策して、いよいよ大山です。
目指すはここ↓

いざ行かん! 目指せ大山Gビール祭り! ・・・・つづく
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