江田島慰霊碑巡り ぶらぶら
こんにちは! のぼうです。
記録的な暖冬ですが、やっぱり寒いので相変わらず近場をぶらぶら・・・。
今回は、江田島市にある慰霊碑を巡ってきました。

昼前に東広島市を出発して江田島市へ、約1時間半の道のりです。
お昼過ぎに到着し、立ち寄ったのは「めん処にしむら庵」さん。

店内には来客の写真が貼られています。多くはチャリだーさんですね。(この日もバイクよりチャリだーさんが多く走っていました。)

注文したのは、「ちく玉天ぶっかけW」です。
玉天が切れたので、代わりのエビ天が乗ってます。
甘辛い出汁と喉ごしの良い麵で美味しかったです。

先週、ここで食材をゲット!されたようです。


食後、向かったのはにしむら庵から約400m、ヒューマンビーチ長瀬の隣にある「軍艦利根資料館」です。
「利根(とね)」は、大日本帝国海軍の重巡洋艦。利根型重巡洋艦(二等巡洋艦利根型)の1番艦。その艦名は二等巡洋艦の命名慣例に従い、関東地方を流れる利根川からちなんで名づけられたとのこと。艦前部に主砲塔4基を集中し後部を飛行機発進甲板・水上偵察機待機所とした珍しい艦型だそうです。
昭和20年7月、江田島湾で空襲により大破着底し終戦を迎えました。
![ToneWreckage1945[1]](https://blog-imgs-129.fc2.com/g/s/r/gsraider/202002132028594eb.jpg)


慰霊碑に参拝して後にしました。
ところで、この資料館(無人)ですが、入り口は民家の引き戸の玄関そのものですが、自動ドアになっています。
この引き戸が、ガラガラがらと音をたてて開閉します。
ちょっと不気味でした(笑)


続いて向かったのは約3.5km離れた「軍艦大淀慰霊碑」です。

「大淀(おおよど/おほよど)」は、大日本帝国海軍の軽巡洋艦(二等巡洋艦 大淀型)。 その艦名は、宮崎県下の最大河川である大淀川から因んで名付けられたそうです。大日本帝国海軍最後の連合艦隊旗艦。
利根同様、江田島湾で空襲を受けて大破着底し終戦を迎えました。

慰霊碑から海に目を向けると、牡蠣筏?でしょうか。こちらも大破転覆(寸前)しかかってました。
終戦当時の江田島湾ではいつくもの日本海軍艦艇がこんな風に横たわっていたのでしょう。
慰霊碑に手を合わせて、乗組員の冥福を祈念して次へ・・・。

この日、最後に向かったのは江田島町小用桟橋近くにある「軍艦榛名出雲戦没者慰霊碑」です。
昭和20年7月に江田島町小用港沖に停泊中の戦艦榛名と練習艦出雲の両艦が空襲を受けて大破、この戦闘で榛名では71人、出雲では3人の犠牲者が出ました。この戦没者留魂碑は、その御霊を弔うために建立されたものだそうです。
慰霊碑に手を合わせ、帰路へ


音戸の瀬戸展望所から望む音戸大橋(上)と第二音戸大橋(下)です。

呉方向を望むと日鉄日新製鋼呉製鉄所が見えます。
先日、2023年の閉鎖が発表され、波紋を広げています。
日が沈む前に無事に帰宅しました。
慰霊碑を巡って感じたのは、風化が進んでいるなぁ~ということ。
国を守ろうとして亡くなった方々のこと、時には思い出したいものです。
親父の備忘録ブログにご訪問いただきありがとうございました。
記録的な暖冬ですが、やっぱり寒いので相変わらず近場をぶらぶら・・・。
今回は、江田島市にある慰霊碑を巡ってきました。

昼前に東広島市を出発して江田島市へ、約1時間半の道のりです。
お昼過ぎに到着し、立ち寄ったのは「めん処にしむら庵」さん。

店内には来客の写真が貼られています。多くはチャリだーさんですね。(この日もバイクよりチャリだーさんが多く走っていました。)

注文したのは、「ちく玉天ぶっかけW」です。
玉天が切れたので、代わりのエビ天が乗ってます。
甘辛い出汁と喉ごしの良い麵で美味しかったです。

先週、ここで食材をゲット!されたようです。


食後、向かったのはにしむら庵から約400m、ヒューマンビーチ長瀬の隣にある「軍艦利根資料館」です。
「利根(とね)」は、大日本帝国海軍の重巡洋艦。利根型重巡洋艦(二等巡洋艦利根型)の1番艦。その艦名は二等巡洋艦の命名慣例に従い、関東地方を流れる利根川からちなんで名づけられたとのこと。艦前部に主砲塔4基を集中し後部を飛行機発進甲板・水上偵察機待機所とした珍しい艦型だそうです。
昭和20年7月、江田島湾で空襲により大破着底し終戦を迎えました。
![ToneWreckage1945[1]](https://blog-imgs-129.fc2.com/g/s/r/gsraider/202002132028594eb.jpg)


慰霊碑に参拝して後にしました。
ところで、この資料館(無人)ですが、入り口は民家の引き戸の玄関そのものですが、自動ドアになっています。
この引き戸が、ガラガラがらと音をたてて開閉します。
ちょっと不気味でした(笑)


続いて向かったのは約3.5km離れた「軍艦大淀慰霊碑」です。

「大淀(おおよど/おほよど)」は、大日本帝国海軍の軽巡洋艦(二等巡洋艦 大淀型)。 その艦名は、宮崎県下の最大河川である大淀川から因んで名付けられたそうです。大日本帝国海軍最後の連合艦隊旗艦。
利根同様、江田島湾で空襲を受けて大破着底し終戦を迎えました。

慰霊碑から海に目を向けると、牡蠣筏?でしょうか。こちらも大破転覆(寸前)しかかってました。
終戦当時の江田島湾ではいつくもの日本海軍艦艇がこんな風に横たわっていたのでしょう。
慰霊碑に手を合わせて、乗組員の冥福を祈念して次へ・・・。

この日、最後に向かったのは江田島町小用桟橋近くにある「軍艦榛名出雲戦没者慰霊碑」です。
昭和20年7月に江田島町小用港沖に停泊中の戦艦榛名と練習艦出雲の両艦が空襲を受けて大破、この戦闘で榛名では71人、出雲では3人の犠牲者が出ました。この戦没者留魂碑は、その御霊を弔うために建立されたものだそうです。
慰霊碑に手を合わせ、帰路へ


音戸の瀬戸展望所から望む音戸大橋(上)と第二音戸大橋(下)です。

呉方向を望むと日鉄日新製鋼呉製鉄所が見えます。
先日、2023年の閉鎖が発表され、波紋を広げています。
日が沈む前に無事に帰宅しました。
慰霊碑を巡って感じたのは、風化が進んでいるなぁ~ということ。
国を守ろうとして亡くなった方々のこと、時には思い出したいものです。
親父の備忘録ブログにご訪問いただきありがとうございました。
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