ジオパーク隠岐の島(島後)を訪ねて(2日目2/2&3日目) ~旅の終わりは・・・~
こんにちは! のぼうです。
ひとつのネタを大事に大事にしています。(笑)
とは言うもののちょっと間延び感は否めません。
今回は、隠岐の島編の締めくくりとなります。(やっと)

かぶら杉を後にしてやって来たのは、”水若酢神社(みずわかすじんじゃ)”です。
ちょっとHPから借用です。
「隠岐一の宮で、祭神は水若酢命ほか2柱。 『延喜式』に「水若酢神社名神大(めいしんだい)」とあるから、少なくとも平安時代から有力な神社であった。 本殿は地方色豊かな隠岐造りで寛政7年(1795)の軸立。国文化財に指定されている。
神社に伝わる祭礼風流(ふりゅう)は、玉若酢命神社の御霊会風流と武良祭風流とともに隠岐三大祭りの一つで昭和48年(1973)3月指定の県の無形民俗文化財である。」
とのこと。
手水舎にリアルな亀がいました。


「隠岐造り」の本殿は国指定重要文化財だそうです。
本殿横に置かれていた本殿の昔の鬼板です。

参道横にある”土俵”です。この土俵で20年に一度、夜通しで遷宮相撲が行われるそうです。

水若酢神社を後にして田園風景を横目に、ゲストハウス碧へ向けて帰路につきます。
途中、隠岐温泉GOKAに立ち寄り、汗と疲れを流します。

もう少しで宿に着くところにローソク島展望台があり、まだちょっと明るいことから立ち寄ってみました。
碧オーナーからは、”行きはよいよい、帰りは恐い”と聞いていました。 駐車場からは崖下に向かって急勾配の遊歩道があるらしい。


駐車場に着いてみると、先にいたカップルが残念そうに駐車場に帰ってきました。
その理由は直ぐに分かりました。 遊歩道には立ち入り禁止のロープが貼られ、展望台の周りは木が生い茂って何も見えません。 東屋横の外灯はへし折れたままでした。
う~ん、隠岐の島の名所とされる場所を巡ってみましたが、時折、ちょっと残念に感じました。


買い出ししてきた惣菜で晩ご飯を済ませ、ゆっくりしていると碧オーナーから、「良かったら外で焼き鳥はいかがですか」と声が掛り、遠慮なくいただきました。
碧ではお酒も販売していたので、地麦酒でオーナーに返礼です。
地麦酒に炭火で焼いた焼き鳥、至福のひとときです。(ご馳走様でした。)

隠岐の島3日目の朝です。
碧の朝食、前日にのぼうが食べれなかった茗荷は卵焼きになっていました。(やっぱりご飯は大盛り!)
この日は8時30分西郷港発のフェリーに乗り、半日の船旅を経て、境港から陸路でほぼ一日かけて広島に帰ります。

隠岐郡隠岐の島町下西にある隠岐の島町役場の前で見掛けました。
”竹島”は隠岐の島町の一部なのですね。

西郷港にやって来ました。
フェリー”しらしま”で西郷港から海士町菱浦港、西ノ島町別府港、そして知夫村来居港を経由して境港を目指します。(約5時間の航海です。)

西郷港ターミナルでは、”鬼太郎親子とねずみ男像”が見送ってくれました。

西郷港を出航してまもなく、5分後に出航した高速船「レインボージェット」が追い抜いていきました。
こちらは途中に寄港することなく境港へ(僅か1時間半で到着)

昨日立ち寄った西郷岬灯台が見えます。 昨日は、あの西郷岬灯台から本土に向かうフェリーを眺めたのですが、今日はのぼうが船上のひと、ちょっとしんみりします。

9時40分、海士町菱浦港に到着しました。
5年前の島前3島巡りの際は、この菱浦港から帰路につきました。(何もかも懐かしい)

10時5分、別府港に到着です。
国賀海岸や摩天崖の絶景が思い出されます。
その後、来居港に寄港し(画像なし)、13時20分境港に到着しました。
流石に5時間近くの船旅はちょっと疲れましたが、ここから広島まで約180kmを下道で帰ります。(ファイト!)

流石、境港です。 電車まで”ゲゲゲ”です。(笑)
さて、この後、実は画像はありません。(汗)
理由は、ゲゲゲ電車を撮影した後、土砂降りの雨に遭い、広島県境までずっと雨だったためです。
まあ、カッパは当然に持参しており、更には長靴も積んでいたのでそそくさと変身しましたが、あまりの雨に恐る恐ると走って帰りました。
タイトルにある”旅の終わりは・・・”の後に入る言葉は”土砂降り”でした。(笑)
親父の備忘録ブログにご訪問いただきありがとうございました。
ひとつのネタを大事に大事にしています。(笑)
とは言うもののちょっと間延び感は否めません。
今回は、隠岐の島編の締めくくりとなります。(やっと)

かぶら杉を後にしてやって来たのは、”水若酢神社(みずわかすじんじゃ)”です。
ちょっとHPから借用です。
「隠岐一の宮で、祭神は水若酢命ほか2柱。 『延喜式』に「水若酢神社名神大(めいしんだい)」とあるから、少なくとも平安時代から有力な神社であった。 本殿は地方色豊かな隠岐造りで寛政7年(1795)の軸立。国文化財に指定されている。
神社に伝わる祭礼風流(ふりゅう)は、玉若酢命神社の御霊会風流と武良祭風流とともに隠岐三大祭りの一つで昭和48年(1973)3月指定の県の無形民俗文化財である。」
とのこと。

手水舎にリアルな亀がいました。


「隠岐造り」の本殿は国指定重要文化財だそうです。

本殿横に置かれていた本殿の昔の鬼板です。

参道横にある”土俵”です。この土俵で20年に一度、夜通しで遷宮相撲が行われるそうです。

水若酢神社を後にして田園風景を横目に、ゲストハウス碧へ向けて帰路につきます。
途中、隠岐温泉GOKAに立ち寄り、汗と疲れを流します。

もう少しで宿に着くところにローソク島展望台があり、まだちょっと明るいことから立ち寄ってみました。
碧オーナーからは、”行きはよいよい、帰りは恐い”と聞いていました。 駐車場からは崖下に向かって急勾配の遊歩道があるらしい。


駐車場に着いてみると、先にいたカップルが残念そうに駐車場に帰ってきました。
その理由は直ぐに分かりました。 遊歩道には立ち入り禁止のロープが貼られ、展望台の周りは木が生い茂って何も見えません。 東屋横の外灯はへし折れたままでした。
う~ん、隠岐の島の名所とされる場所を巡ってみましたが、時折、ちょっと残念に感じました。


買い出ししてきた惣菜で晩ご飯を済ませ、ゆっくりしていると碧オーナーから、「良かったら外で焼き鳥はいかがですか」と声が掛り、遠慮なくいただきました。
碧ではお酒も販売していたので、地麦酒でオーナーに返礼です。
地麦酒に炭火で焼いた焼き鳥、至福のひとときです。(ご馳走様でした。)

隠岐の島3日目の朝です。
碧の朝食、前日にのぼうが食べれなかった茗荷は卵焼きになっていました。(やっぱりご飯は大盛り!)
この日は8時30分西郷港発のフェリーに乗り、半日の船旅を経て、境港から陸路でほぼ一日かけて広島に帰ります。

隠岐郡隠岐の島町下西にある隠岐の島町役場の前で見掛けました。
”竹島”は隠岐の島町の一部なのですね。

西郷港にやって来ました。
フェリー”しらしま”で西郷港から海士町菱浦港、西ノ島町別府港、そして知夫村来居港を経由して境港を目指します。(約5時間の航海です。)

西郷港ターミナルでは、”鬼太郎親子とねずみ男像”が見送ってくれました。

西郷港を出航してまもなく、5分後に出航した高速船「レインボージェット」が追い抜いていきました。
こちらは途中に寄港することなく境港へ(僅か1時間半で到着)

昨日立ち寄った西郷岬灯台が見えます。 昨日は、あの西郷岬灯台から本土に向かうフェリーを眺めたのですが、今日はのぼうが船上のひと、ちょっとしんみりします。

9時40分、海士町菱浦港に到着しました。
5年前の島前3島巡りの際は、この菱浦港から帰路につきました。(何もかも懐かしい)

10時5分、別府港に到着です。
国賀海岸や摩天崖の絶景が思い出されます。
その後、来居港に寄港し(画像なし)、13時20分境港に到着しました。
流石に5時間近くの船旅はちょっと疲れましたが、ここから広島まで約180kmを下道で帰ります。(ファイト!)

流石、境港です。 電車まで”ゲゲゲ”です。(笑)
さて、この後、実は画像はありません。(汗)
理由は、ゲゲゲ電車を撮影した後、土砂降りの雨に遭い、広島県境までずっと雨だったためです。
まあ、カッパは当然に持参しており、更には長靴も積んでいたのでそそくさと変身しましたが、あまりの雨に恐る恐ると走って帰りました。
タイトルにある”旅の終わりは・・・”の後に入る言葉は”土砂降り”でした。(笑)
親父の備忘録ブログにご訪問いただきありがとうございました。
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