おいでませ山口へ♪♪(名残惜しい3日目)
こんにちは! のぼうです。
山口県の3日目です。ひとつのネタを随分と引っ張っていたら、結構、記憶が薄くなってきました。(汗)

さて、最終日となる3日目の朝、テントを干してから撤収です。
阿武川温泉公園、きれいに整備され、また温泉にも歩いて行ける、よいキャンプ場でした。(安価なのも☆☆☆)

ミッションは2日目でクリアしたので、今日はのんびり萩観光してから帰路につく予定です。
やって来たのは、阿武川温泉公園からすぐ先にある阿武川ダムです。
昭和50年3月に完成したえん堤高95m・えん堤長270m 総貯水量153,500,000トンの日本有数の規模を誇る重力アーチ式コンクリートダムだそうです。なかなかの迫力です。
ダムカードを配布しているということで、インターホンを鳴らすと、「9時からです。」とのこと。時計を見ると8時45分、まあ、また次回にと思い、ダムを後にして萩市内へ。

やって来たのは、”平安橋”です。
以下HPから抜粋
「萩城三の丸の総門(平安古)の一つである「平安古の総門」前の外堀に架けられた石橋で、城下町から三の丸への通路の一つでした。昔は、中ノ総門や北ノ総門前にも橋がありましたが、現存するのは平安橋だけです。平安古(ひやこ)に通じているということから“平安橋”と呼ばれる玄武岩で造られた橋は、吊り桁・定着桁を備えたゲルバー桁橋の構造を持った無橋脚の珍しい橋です。新堀川に架かる石橋がいずれも明和年間(1764~71)に構築されていることから、同時期に石造りに架け替えられたといわれています。」
とのこと。
歴史が身近に感じられます。


萩城城下町をしばし、ぶらぶら・・・。(風情あるなぁ)

田町商店街近くにある”阿己悟(アミーゴ)”さんにやって来ました。
むらさんのblogで、マスターが亡くなりお昼の営業を止めたとのこと。
昨年、訪問した時にはお元気だったので残念です。(合掌)


萩明倫学舎にやって来ました。
萩藩校明倫館の跡地に建ち、平成26年3月まで授業が行われていた旧明倫小学校校舎を博物館としたものです。
本館は無料ですが、2号館は有料(@300円)となります。
昨年も訪問しましたが、展示物が好きで再訪しました。

前回も撮ってもらいましたが、今回も・・・。(笑)
長州ファイブ+ワンです。


渋川春海は、江戸時代前期の天文歴学者で、囲碁博士であり、神道家とのこと。江戸幕府の初代天文方を務め、1684年(貞享元年)「貞享暦(じょうきょうれき)」を作成し、これが後の太陰暦の基となったそうです。
冲方丁による小説『天地明察』(てんちめいさつ)は、渋川春海の生涯を描いたもので、第7回本屋大賞受賞した作品です。
なかなか感慨深い小説でしたよ。


お気に入りの理由はここです。
明治維新で使われた薩長軍、幕府軍の小銃、短銃、火砲やその時代前後の銃器類が展示されています。
小銃が、飛躍的進歩を遂げたのがよく分かります。

校舎内は歩いているだけでも、風情を感じられてよいですよ。(お勧め)


萩を後にして、日本海沿いにR191を東進します。
途中に立ち寄ったのは、山口県阿武郡阿武町宇田惣郷にある惣郷川橋梁(そうごうがわきょうりょう)です。
JR西日本山陰本線・須佐 ~ 宇田郷間の白須川に架かる鉄道橋で全長189mだそうです。
1932年(昭和7年)に完成したそうです。


惣郷川橋梁を後にして帰路へ
途中、津和野に立ち寄り、ちょっと遅くなった昼食です。
寄ったのは、”つるべ”さん、2度目の訪問ですが、お目当ては”カレーうどん”です。
香りよく、程々にスパイスの効いたカレーうどんは、出汁まで飲み尽くしてしまいます。(美味しい)


しばらく津和野の町を散策します。
偶然、見つけた醸造元”初陣”さん。
むらさんが、我が家を訪問された際に、お土産に頂きましたが、辛口の美味しいお酒でした。


津和野の町並みを後にして、広島を目指します。
どうも空模様は下り坂、広島方面は朝から雨だったようで、津和野からは途中下車せずに広島へ
なんとか雨に祟られず、日が沈む前に無事に帰宅しました。
3日間の走行距離は約750km、山口県は隣県ですが、今回は初めて訪問した場所も多く、新鮮な気持ちで駆け回りました。
(むらさんのblogのおかげ!)
親父の備忘録ブログにご訪問いただきありがとうございました。
山口県の3日目です。ひとつのネタを随分と引っ張っていたら、結構、記憶が薄くなってきました。(汗)

さて、最終日となる3日目の朝、テントを干してから撤収です。
阿武川温泉公園、きれいに整備され、また温泉にも歩いて行ける、よいキャンプ場でした。(安価なのも☆☆☆)

ミッションは2日目でクリアしたので、今日はのんびり萩観光してから帰路につく予定です。
やって来たのは、阿武川温泉公園からすぐ先にある阿武川ダムです。
昭和50年3月に完成したえん堤高95m・えん堤長270m 総貯水量153,500,000トンの日本有数の規模を誇る重力アーチ式コンクリートダムだそうです。なかなかの迫力です。
ダムカードを配布しているということで、インターホンを鳴らすと、「9時からです。」とのこと。時計を見ると8時45分、まあ、また次回にと思い、ダムを後にして萩市内へ。

やって来たのは、”平安橋”です。
以下HPから抜粋
「萩城三の丸の総門(平安古)の一つである「平安古の総門」前の外堀に架けられた石橋で、城下町から三の丸への通路の一つでした。昔は、中ノ総門や北ノ総門前にも橋がありましたが、現存するのは平安橋だけです。平安古(ひやこ)に通じているということから“平安橋”と呼ばれる玄武岩で造られた橋は、吊り桁・定着桁を備えたゲルバー桁橋の構造を持った無橋脚の珍しい橋です。新堀川に架かる石橋がいずれも明和年間(1764~71)に構築されていることから、同時期に石造りに架け替えられたといわれています。」
とのこと。
歴史が身近に感じられます。


萩城城下町をしばし、ぶらぶら・・・。(風情あるなぁ)

田町商店街近くにある”阿己悟(アミーゴ)”さんにやって来ました。
むらさんのblogで、マスターが亡くなりお昼の営業を止めたとのこと。
昨年、訪問した時にはお元気だったので残念です。(合掌)


萩明倫学舎にやって来ました。
萩藩校明倫館の跡地に建ち、平成26年3月まで授業が行われていた旧明倫小学校校舎を博物館としたものです。
本館は無料ですが、2号館は有料(@300円)となります。
昨年も訪問しましたが、展示物が好きで再訪しました。

前回も撮ってもらいましたが、今回も・・・。(笑)
長州ファイブ+ワンです。


渋川春海は、江戸時代前期の天文歴学者で、囲碁博士であり、神道家とのこと。江戸幕府の初代天文方を務め、1684年(貞享元年)「貞享暦(じょうきょうれき)」を作成し、これが後の太陰暦の基となったそうです。
冲方丁による小説『天地明察』(てんちめいさつ)は、渋川春海の生涯を描いたもので、第7回本屋大賞受賞した作品です。
なかなか感慨深い小説でしたよ。


お気に入りの理由はここです。
明治維新で使われた薩長軍、幕府軍の小銃、短銃、火砲やその時代前後の銃器類が展示されています。
小銃が、飛躍的進歩を遂げたのがよく分かります。

校舎内は歩いているだけでも、風情を感じられてよいですよ。(お勧め)


萩を後にして、日本海沿いにR191を東進します。
途中に立ち寄ったのは、山口県阿武郡阿武町宇田惣郷にある惣郷川橋梁(そうごうがわきょうりょう)です。
JR西日本山陰本線・須佐 ~ 宇田郷間の白須川に架かる鉄道橋で全長189mだそうです。
1932年(昭和7年)に完成したそうです。


惣郷川橋梁を後にして帰路へ
途中、津和野に立ち寄り、ちょっと遅くなった昼食です。
寄ったのは、”つるべ”さん、2度目の訪問ですが、お目当ては”カレーうどん”です。
香りよく、程々にスパイスの効いたカレーうどんは、出汁まで飲み尽くしてしまいます。(美味しい)


しばらく津和野の町を散策します。
偶然、見つけた醸造元”初陣”さん。
むらさんが、我が家を訪問された際に、お土産に頂きましたが、辛口の美味しいお酒でした。


津和野の町並みを後にして、広島を目指します。
どうも空模様は下り坂、広島方面は朝から雨だったようで、津和野からは途中下車せずに広島へ
なんとか雨に祟られず、日が沈む前に無事に帰宅しました。
3日間の走行距離は約750km、山口県は隣県ですが、今回は初めて訪問した場所も多く、新鮮な気持ちで駆け回りました。
(むらさんのblogのおかげ!)
親父の備忘録ブログにご訪問いただきありがとうございました。
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