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恋の願いが叶う町 ~神石高原町ぶらぶら~

 こんにちは! のぼうです。
 
 東北震災からまもなく10年を迎えようとする先日、宮城県、福島県を中心に震度6強の地震が発生し、多くの方々が負傷されました。 最近は、コロナにばかり気を取られていましたが、南海トラフ地震が発生する確率も次第に高くなっています。平素から災害に備える大切さをあらためて実感しました。

 さて、巣ごもり中心の生活を送っていますが、先日、NHK広島放送局のHPで「広島かたすみ食堂」の記事が目にとまりました。
 昨年の3月13日に放映された”恋の願いが叶う町 神石高原町”(2月11日に再放送)というタイトル。

   (広島放送局制作の広島ローカル番組です。)

 巣ごもり中ではありますが、気分転換も必要!と(都合良く)思い、マスク装備で行ってきました。


 広島から約120km、広島市内から県道37で北上し、向原から豊栄、世羅町を経由して神石高原町へ


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 やって来たのは、”恋の願いが叶う町 神石高原町”のパワースポットとして紹介されていた神石高原町下豊松114にある「幸運仏(こううんぼとけ)」です。


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 番組では、”すごい、恋愛パワースポット”という紹介でした。
 途中、立ち寄ったお店では「実は私、幸運仏のお陰でで主人と知り合ったんですよ」との話、ご利益に期待大です!(笑)

 この幸運仏、それほど古い歴史ではなく、昭和56年に近くで道拡張工事の際、地下1.5メートルのところから2基の五輪塔が掘り出され、夫婦墓であろうと地域の人たちが供養したところ、とたんに地域の者の内から5組の結婚話が成立したそうです。 たちまちこの噂は広がり、2基の五輪塔はいつからか「幸せを運んでくれる“幸運仏様”」 と呼ばれるようになり、地域の人たちで幸運仏世話人会をつくり大切に奉っているそうです。

 ↓ こちらが祀られている五輪塔です。
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 番組のロケでは誰もおらず、張り紙にあった世話人会へ電話して、世話役の方が来られました。

 世話役の方がいろいろと説明されました。
 ちなみに、画像にある多くの赤い提灯は、そのご利益にあやかった方達からの寄贈によるものだそうです。(世話役の方の提灯もあるとのこと。)
 と言うことは、提灯の数だけ(実践的)ご利益があった!ということですね。(実績に裏付けされたパワースポット!!)

 また、絵馬を投げて表が出れば願いが成就する!とのこと。
 実際に絵馬を投げてみると、世話役の投げた絵馬が裏返し・・・・すると、そっと表にひっくりかえされました。そうすると、無かったことにできるそうです。(なんとリカバリーまでできる運試し!)

 ところで、この日も誰もいませんでした。
ひとり密になることもなく、しっかりお祈りして、幸運仏を後に・・・。

(番組では、ご利益第一号の方を訪問されたりしていましたが・・・以降は、きままに神石高原町をぶらぶら)


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 画像は幸運仏の駐車場です。
 次の目的地は、画像の山の上に見える施設です。



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 やって来たのは、”とよまつ紙ヒコーキ・タワ-”です。
 以下HPから
 「標高663m、豊松の米見山(よなみやま)山頂公園の中央にそびえ立つ高さ26mのタワーで、紙ヒコーキを飛ばすためにつくられた世界でも珍しい施設です。このタワーの15m位置には360度を見渡せる展望台があり、遠くに大山や道後山、比婆山連邦なども望めます。また、平成25年4月より恋人の聖地/神石高原のシンボル施設として記念銘板が設置され、ラブコプターで楽しむことができます。」とのこと。

 さて、このタワーですが、着いてから張り紙を見て知ったのですが、12月~2月は閉鎖されていました。(笑うしかない)

 ちなみに、小学生以上は入場料300円(エコ用紙5枚付)だそうです。
 タワーに登って紙ヒコーキを飛ばしたら気持ちよさそうです。(暖かくなったら、また来よう)

 ところで、HPの説明にあったラブコプターなるものですが、幸運仏で祈願を受けたラブコプター(「良縁成就」と書かれたおみくじ風の紙に、凧のような足が2本ついている・・・感じ)をとよまつ紙ヒコーキ・タワーから、恋愛成就・良縁成就の願いを込めて飛ばし、敷地より外へ出れば願いが叶うというものだそうです。ちなみに、敷地内に落ちても「願いの木」に結べば厄除けになるという、これまたリカバリーも万全なもの。(笑)
 

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ブラのぼう 「呉~”戦艦大和のふるさと”呉はどうできた?~」(後編)

 こんにちは! のぼうです。

 さて、ブラタモリならぬ”ブラのぼう” 呉の街編(後編)です。(笑)

 
 前編では、急激な発展により”めがね橋”が埋め立てられたところで終わりましたが、その続き・・・。

 テロップに「想定外の発展が生んだ呉ならではの住宅とは?」が流れ、一行は呉市の市街地へ


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 一行がやって来たのは、両城地区にある傾斜40度、131段の石段です。
 タモリさん、石段を見上げて「こらぁ、すごいわ」

 一行は石段を踏みしめながら登ります。


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 途中で振り返って見た呉の街並みです。


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 石段を上から見下ろすと、やっぱり急斜面ですね。
 酔っ払って足を踏み外すと大変です。

 ちなみに、画像の右にある石垣ですが、ブラタモリでは「大阪城の石垣を作られた方に作って貰った」との説明。
 さすがに、タモリさんから時代が違うのではとの突っ込みが入りました。

 左側にある板ですが、「解体家屋の廃材を下ろすため」という説明がありましたが・・・


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 石段の上では確かに解体されてる家屋がありました。



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 この石段の向かい側の風景です。
 画像の中央に左下から右上に向けて階段が伸びていますが、これは”両城の二百階段”と言われる、やっぱり急斜面の階段です。


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 両城の二百階段の登り口です。
 映画「海猿」のロケ地にもなったそうです。


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 さて、両城の二百階段から見た傾斜40度の石段(ほぼ中央辺り)です。

 画像中央に、左右対称になった家屋があるのがわかりますか。
 ブラタモリでは、急斜面の家を訪問として、向かって右側の家を訪問しました。
 ちなみに、この家は番組で案内人として登場した大和ミュージアム学芸員の方が借りている借家です。
 昭和9年建築とのこと。家は立派な和風建築、タモリさんも感心しきり。

 ちなみに家賃は4万円とのこと。(向かって左側は空いているとのことでした。)
 呉の港が一望できる素敵なおうちでした。(建築時は佐官級の軍人の住宅だったそうです。)

 急激な発展は想定外の人口増加となり、山の斜面にまで住宅が建てられ、これが呉ならではの住宅です。


 続いて一行がやってきたのは、大和が建造された造船所近くの住宅地です。
 ここで、造船所側に窓のない家屋を見上げて、秘密保持のため窓が作れなかった旨の説明を受けます。

 また、当時、小学生だった方のお宅を訪問し、当時の小学校校舎の海側の窓が板で塞がれている写真をみて、当時の様子について話を聞きました。ちなみにこの方、大和の進水式を”生”で見られたそうです。

 
 ブラタモリでは、大和の最後の様子、呉の空襲の状況を写真で説明・・・。
 呉の空襲では一般市民が約2000人亡くなられたとのこと。(合掌)

 空襲で燃え上がる呉の街の写真を見て、なぜか大和を建造した場所には一発の爆弾も落ちなかったとのこと。(謎)


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 その一行がやって来たのが、”歴史の見える丘”です。

 画像にある手前の砲弾は戦艦長門のものでした。


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 入り口にあった”砲弾型”のポール、タモリさんがなでていたのを見て、のぼうもなでてみました(笑)
 なにかご利益あるといいなぁ。


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 ”歴史の見える丘”から望む大和のふるさと(建造されたとこ)です。
 大和は軍事機密なので大きな屋根の建物で隠されていました。
 それが今も残っています。
 また、ここでは戦後も造船が行われ、今も現役だそうです。

 テロップで「旅の終わりに タモリは何を思う?」と流れて・・・
 タモリさん「坂のある街は、住んでいる人は大変だけど きれい」とのコメント。
    
 好きになって貰えましたかの問いかけに「好きですよ! 4万円だもの」(笑)

 ここで番組は終わりです。

 知ってるようで、知らなかった呉の街を見ることができて楽しかったです。


 さて、ここからは、おまけ編です。

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ブラのぼう 「呉~”戦艦大和のふるさと”呉はどうできた?~」(前編)

 こんにちは!のぼうです。

 巣ごもり生活の中、blogネタも底を尽き、なかなか更新できていません。(泣)
 
 さて、1月23日(土)、NHKのブラタモリで広島県呉市が紹介されました。
 呉市はまだ十代だったのぼうが2年間住んでいた町です。

 あ~懐かしい・・・。 ということで、ちょっと気分転換に呉の町を訪問してきました。


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 ブラタモリはこのシーンから始まりました。
 「朝から度肝を抜かれます。潜水艦が陸上に上がってるんですよね。」とタモリさんの弁



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 タモリさんが度肝を抜かれた”潜水艦あきしお”です。
 全長76m、重さ約2200t、1986年から2004年まで、実際に海上自衛隊で使用されていたものです。
 2006年9月に国内最大級の起重機船(クレーン船)で陸揚げされ、呉史料館に展示されています。
 呉史料館では、この実物の潜水艦に乗艦して、艦長室や士官室などの生活の一部が見学できるほか、潜水艦の構造を実際に見て、体感できたりします。 



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 タモリさん一行、呉史料館の向かい「大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)」へ

 大和ミュージアム駐車場からエントランスの間はレンガパーク。
 ここには、戦艦「陸奥」の主砲身、スクリュー、主舵などの引揚品を展示されています。



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 ご一行は、大和ミュージアムへ
 ブラタモリでは年間90万人が訪れると紹介されていました。

 タモリさん思わず「でかいっ!」「これ十分乗れるでしょ!」との弁

 10分の1戦艦「大和」は、 全長26.3メートルもあり、設計図や写真、潜水調査水中映像などをもとに、可能な限り詳細に再現されているそうです。
 製造は実際の造船所で作られたそうです。

 大和の主砲の飛距離についてタモリサンに質問、答えはマラソン1回分を約90秒で飛ぶとのことでした。

 ここで番組とは関係ありませんが・・・ちょっとご紹介を


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 大和が浮かんでる! 

 実は大和ミュージアムの建物の海側にちょっとした池?が作られていて、ラジコン愛好家の方々が思い思いの軍艦を走らせていました。(走る?)



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 手前は戦艦ミズーリ(アメリカ)、まさに夢の競演です。


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 戦艦ミズーリの艦橋のアップです。精巧に作られていて、大和もですが、走りながら砲塔を旋回させていました。
 気持ちよさそうでした。(ほのぼの)



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 大和ミュージアムの屋外展示場にある潜水艇しんかいです。

 しんかいは、1969年、川崎重工業で建造された実用最高深度は600メートルの海上保安庁が保有していた有人潜水調査艇です。日本で初めて建造された本格的な有人深海調査艇だそうです。1977年に退役し、長らく広島県呉市の海上保安大学校に保存展示されていましたが、2005年に呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)移設されたそうです。



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 大和ミュージアム海側にある”大和波止場”です。
 実物大の戦艦「大和」をイメージした公園で、2番主砲から左半分を実物大で表現しています。ここでも大和の大きさを実感することができますよ。


 さて、番組を追っていきます。
 一行は、大和の大きさが実感できる場所が呉に残っていると話を聞いて、その場所へ

 番組では、三菱パワー(株)呉工場とありましたが、当然に入れないので画像はありません・・・。

 発電所のボイラーなどを作っているそうですが、ここでは大和の主砲を作っていたそうです。
 今でも、主砲の台座を作るための直径18m、深さ22mのピット(穴)や当時のクレーンが今も現役とのこと。


 続いて、呉の町がどうできたかということで、一行は呉が一望できる灰が峰へ

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 画像は以前に灰が峰に登ったときのものです。(ちょっとガスってました。)

 以下HPから「灰ヶ峰は標高737m。日本三大夜景の函館山より2倍以上の高さがあり、その夜景は、まるで天上から眺めているようです。宝石のような街の灯り、呉港に揺れる船、そして月あかり。まさに呉のロマンチックスポットです。光の筋が「くれ」と読めると、そのカップルは結ばれるという噂も…。JR呉駅を出ると正面にそびえる灰ヶ峰は、頂上にある丸く白い気象レーダーが目印です。」とのこと。

 ただ、ルートは途中から人気も無く、夜にバイクで登るのはちょっと恐い・・・。

 一行は、なぜ呉が軍港に選ばれたかとの説明を受けていました。
 波静かな良港で、守りが堅いとのこと。
 全国に4箇所の軍港が築かれ、呉には製鉄部を備えた造船の拠点という役割が与えられたそうです。
 また、軍関係者等が暮らす街を作るのに適した平地があったことも呉が選ばれた理由とのこと。

 その後、わずか30年で東洋一の軍港に発展したそうです。 
 

 
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 一行は、「呉の街づくりに潜む秘密とは!」を探るため市街地へ
 やって来たのは、かつて市街地と海軍用地の境となっていた”めがね橋”です。


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 さて、この”めがね橋”とされるこの場所、手前が市街地で、向こう側が海軍用地でした。
 
 画像では分かりにくいのですが、向こう側が約60cm高くなっているそうです。
 海軍が軍の土地を頑丈にするために土を盛った名残だそうです。

 さらに、ここが境目とする目印があったとのこと・・・それは


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 地名の由来である”めがね橋”がここにあったそうです。

 市街地と海軍用地を結ぶ架け橋だったそうですが、開発が進むにつれ埋め立てられてしまい、今は”暗渠”として地下に眠っているそうです。


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 周囲を見てみると、今も水路が残っています。
 番組では、埋められている”めがね橋”の映像が紹介されていました。(今も残っているそうです。)

 埋められた街のシンボル、呉の街が急激に発展していった結果とのこと。


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 眼鏡橋の向こう側、かつての海軍用地に見える赤い建物が”青山クラブ”です。

 映画”「この世界の片隅に」のストーリーの中で、すずさんが夫の周作さんと待ち合わせしていたのがこの青山クラブ(旧海軍の下士官兵クラブ)。戦時中は呉港に入港した軍艦の乗組員の休憩所となっていたそうです。この建物は2016年まで海上自衛隊が使用していましたが老朽化に伴い国としては使用を中止、平成30年、呉市が国から買い取り、現在に至っています。



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 映画で登場した”めがね橋”や”青山クラブ”のシーンが展示してありました。

 後編に続く・・・。
 
 



  
 
プロフィール

のぼう

Author:のぼう
のぼうは、広島県広島市在住の親父ライダーです。
Vストローム650XT、ハンターカブCT125、XTZ125(中華製)を駆って、もっぱら中国・四国地方を走っています。有名でないけど景色の良いところ、走って楽しい道、美味しいランチを紹介できればと思います。

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