古き町並みを訪ねて~伊予国へ~(前編)
こんにちは! のぼうです。
週間天気予報(2週間前の話です。)を見ていたら、この週末晴れそうじゃないですか! と言うことで前日に宿を予約し、6月16日(土)、17日(日)で愛媛県の宇和島(方面)を訪問してきました。(もちろん、100名城スタンプと御朱印帳を持参して!)

いつものように、竹原市忠海港7:30発のフェリーで大三島盛港へ
それにしても、来る度にオシャレになっていく忠海港です。

うさぎの郵便ポストを発見・・・どう見てもただのポストにしか見えないけど・・・。
盛港上陸後、しまなみ海道を経て今治へ上陸、今治からR317で松山へ

途中、玉川ダム(再掲)でダムカードをゲット!!
松山市内からR56で、最初の古き町並み、内子を目指します。

道の駅「内子フレッシュパークからり」で昼食です。


お昼は、内子豚もろみバーガー(並)とじゃからサイダー(HPから「主原料の「じゃばら」には花粉症などのアレルギー症状を緩和するといわれている「ナリルチン」が豊富に含まれています。花粉症の季節に、またスッキリした飲み心地は暑い夏にもぴったりです。」)だそうです。サイダーはすっきりとした喉ごしでした。
【古き町並み①内子】

いきなり観光HPから「大正期の思いが伝わる、本格的な現役の芝居小屋、大正5年(1916年)に大正天皇の即位を祝い創建された内子座。木造2階建ての瓦葺き入母屋作り、純和風様式の本格的な芝居小屋として建設されました。回り舞台や花道、桝席、楽屋などがあり当時の建築技術の粋が集められた建造物です。昭和60年(1985年)に復原工事が完了し、芝居小屋として再出発を果たしました。今では、町内外の芸術文化活動の拠点として活用されています。」
たしかに現役でした。
この日は公演があり、建物内の見学は不可、でも100年余り、芝居小屋として現役で使われている風格は画像からも伝わります。


八日市護国重要伝統的建造物群保存地区(明治の町並み)です。
内子町は江戸時代後期から明治時代にかけて木蝋(もくろう)の生産によって栄えた町。その面影が今も色濃く残っているのが、この町並みです。伝統的な造りの町家や豪商の屋敷が、当時のまま軒を連ねていて落ち着いた雰囲気です。
旭館元活動写真館 旭館
元活動写真館 旭館です。
往年の名作のポスターに時が止まったような雰囲気が溢れてます。

散策していて見かけた郵便受けの中の「的」???
誰が狙って撃ってくるんだろう(不思議)
内子の町並みを散策していたとき、自転車に乗った女子高生(女子中学生?)が道行く観光客(もちろん、のぼうにも)に「こんにちは!」と元気に挨拶していました。(男子は恥ずかしそうに無口でうつむいてました)
内子の町並みは、清々しい気持ちにさせてくれました。(ほっこり)
内子の町からR56で大洲を目指します。
【古き町並み②大洲】

町並みを巡る前に、大洲城に立ち寄りました。(ここで100名城スタンプをゲット!)
向かって左側の天守は平成16年に再建されたものですが、右側の台所櫓(だいどころやぐら)は、江戸時代の遺構です。

大洲城に入ってみると、建設当時のジオラマがあります。働く人々の表情が豊かで、思わずパチリ。

天守から望む肱川です。右手に大洲の街が見えます。

大洲藩鉄砲隊のポスターがありました。
鉄砲隊は、大洲城天守木造復元10周年記念として、平成26年(2014)8月に結成され、現在、鉄砲隊の隊員は14名だそうです。 毎月第3土曜日午後2:00から大洲藩鉄砲隊公開練習を開催しているそうです。・・・って今日じゃん!(このとき13:30でした。)
と言うわけで、公開練習を見ていくことに。


城内を回っていると、鉄砲隊の方々が準備されてました。
鉄砲は、江戸時代に造られた実物とのこと。使われているのは、当時と同じ黒色火薬(成分は少し違うと思うけど)です。

いよいよ公開練習の開始です。
火薬を扱うので、皆さん表情は真剣です。左手に持っているのは火縄です。
赤い胴丸は女性隊員です。この日は4人参加されてました。

「弾込めぇ~」

「構えぇ~」

「放てぇ~」の号令で一斉射撃です。
「ドォ~ン」と轟音が響きます。思ったより大きな音です。鉄砲は人を殺すための道具であることを思い出しました。


この日は5発発射しました。
皆さんの凜々しい若武者振りに感動です。


ついつい写真を撮り過ぎました(笑)
そうそう、最後に隊長(?)が説明されていましたが、女性隊員が4名もいる鉄砲隊は大洲藩だけだそうです(笑)
さあ、大洲の町並みへ・・・
週間天気予報(2週間前の話です。)を見ていたら、この週末晴れそうじゃないですか! と言うことで前日に宿を予約し、6月16日(土)、17日(日)で愛媛県の宇和島(方面)を訪問してきました。(もちろん、100名城スタンプと御朱印帳を持参して!)

いつものように、竹原市忠海港7:30発のフェリーで大三島盛港へ
それにしても、来る度にオシャレになっていく忠海港です。

うさぎの郵便ポストを発見・・・どう見てもただのポストにしか見えないけど・・・。
盛港上陸後、しまなみ海道を経て今治へ上陸、今治からR317で松山へ

途中、玉川ダム(再掲)でダムカードをゲット!!
松山市内からR56で、最初の古き町並み、内子を目指します。

道の駅「内子フレッシュパークからり」で昼食です。


お昼は、内子豚もろみバーガー(並)とじゃからサイダー(HPから「主原料の「じゃばら」には花粉症などのアレルギー症状を緩和するといわれている「ナリルチン」が豊富に含まれています。花粉症の季節に、またスッキリした飲み心地は暑い夏にもぴったりです。」)だそうです。サイダーはすっきりとした喉ごしでした。
【古き町並み①内子】

いきなり観光HPから「大正期の思いが伝わる、本格的な現役の芝居小屋、大正5年(1916年)に大正天皇の即位を祝い創建された内子座。木造2階建ての瓦葺き入母屋作り、純和風様式の本格的な芝居小屋として建設されました。回り舞台や花道、桝席、楽屋などがあり当時の建築技術の粋が集められた建造物です。昭和60年(1985年)に復原工事が完了し、芝居小屋として再出発を果たしました。今では、町内外の芸術文化活動の拠点として活用されています。」
たしかに現役でした。
この日は公演があり、建物内の見学は不可、でも100年余り、芝居小屋として現役で使われている風格は画像からも伝わります。


八日市護国重要伝統的建造物群保存地区(明治の町並み)です。
内子町は江戸時代後期から明治時代にかけて木蝋(もくろう)の生産によって栄えた町。その面影が今も色濃く残っているのが、この町並みです。伝統的な造りの町家や豪商の屋敷が、当時のまま軒を連ねていて落ち着いた雰囲気です。

元活動写真館 旭館です。
往年の名作のポスターに時が止まったような雰囲気が溢れてます。

散策していて見かけた郵便受けの中の「的」???
誰が狙って撃ってくるんだろう(不思議)
内子の町並みを散策していたとき、自転車に乗った女子高生(女子中学生?)が道行く観光客(もちろん、のぼうにも)に「こんにちは!」と元気に挨拶していました。(男子は恥ずかしそうに無口でうつむいてました)
内子の町並みは、清々しい気持ちにさせてくれました。(ほっこり)
内子の町からR56で大洲を目指します。
【古き町並み②大洲】

町並みを巡る前に、大洲城に立ち寄りました。(ここで100名城スタンプをゲット!)
向かって左側の天守は平成16年に再建されたものですが、右側の台所櫓(だいどころやぐら)は、江戸時代の遺構です。

大洲城に入ってみると、建設当時のジオラマがあります。働く人々の表情が豊かで、思わずパチリ。

天守から望む肱川です。右手に大洲の街が見えます。

大洲藩鉄砲隊のポスターがありました。
鉄砲隊は、大洲城天守木造復元10周年記念として、平成26年(2014)8月に結成され、現在、鉄砲隊の隊員は14名だそうです。 毎月第3土曜日午後2:00から大洲藩鉄砲隊公開練習を開催しているそうです。・・・って今日じゃん!(このとき13:30でした。)
と言うわけで、公開練習を見ていくことに。


城内を回っていると、鉄砲隊の方々が準備されてました。
鉄砲は、江戸時代に造られた実物とのこと。使われているのは、当時と同じ黒色火薬(成分は少し違うと思うけど)です。

いよいよ公開練習の開始です。
火薬を扱うので、皆さん表情は真剣です。左手に持っているのは火縄です。
赤い胴丸は女性隊員です。この日は4人参加されてました。

「弾込めぇ~」

「構えぇ~」

「放てぇ~」の号令で一斉射撃です。
「ドォ~ン」と轟音が響きます。思ったより大きな音です。鉄砲は人を殺すための道具であることを思い出しました。


この日は5発発射しました。
皆さんの凜々しい若武者振りに感動です。


ついつい写真を撮り過ぎました(笑)
そうそう、最後に隊長(?)が説明されていましたが、女性隊員が4名もいる鉄砲隊は大洲藩だけだそうです(笑)
さあ、大洲の町並みへ・・・
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